ガラスパール、本物を凌駕する多彩な表情
2025.03.08
2025SSコレクション〈 Harmonia(ハルモニア)〉は、「調和」を意味する古代ギリシャ語に由来しています。その名が示す通り、本コレクションでは、価値観が多様化する現代において、人工と自然、無機と有機、非現実と現実といった相反する要素が響き合う世界からインスピレーションを得ました。
SIRI SIRIが培ってきたガラスの技法を生かし、今回のコレクションでは「ガラスパール」のアイテムを発表します。ガラスにパールのような塗膜を施したこのイミテーションパールは、日本とも深い関わりを持つ素材です。本記事では、その歴史を紐解きながら、手仕事によって生み出されるパールが無機と有機の境界を超え、ガラスの新たな魅力を生み出す過程を探ります。
コスチュームジュエリーの代表格、ガラスパール
“コスチュームジュエリー”という言葉をご存じであろうか。
一般的に宝石や貴金属でつくられるものはファインジュエリーと呼ばれる。それに対して、コスチュームジュエリーとは、素材を限定せず、宝石の価値よりもファッション性を優先したジュエリーのことである。その名称は1950年代にハリウッド女優たちが映画や舞台で身に着けたことに由来している。
まず、その変遷をざっと紐解いていこう。
ヨーロッパでコスチュームジュエリーが誕生したのは1910年頃。1920年代には早くもパリを中心に流行しはじめた。その火付け役になったのは、ココ・シャネル。
なかでも、コスチュームジュエリーの代表格、イミテーションパールの大流行はシャネルによってもたらされた。
シャネルは25歳の時にパリでファッションビジネスをスタートし、33歳で初のオートクチュールコレクションを発表。動きやすくウエストを締め付けないシュミーズドレスが注目され、ジャージー素材の服にフェイクの宝石を合わせたスタイルが脚光を浴びた。1924年には、コスチュームジュエリーの工房をオープン。長いチェーンにバロック型のイミテーションパールとボヘミア製の貴石を模した色ガラスを交互にはめ込んだデザインは、シンプルな服に生えるアクセサリーとして大流行した。
一方、アメリカでもコスチュームジュエリーはゆっくりと確実に浸透していく。
ミリアム・ハスケルは、多くの雑誌に広告を掲載することで、その名をアメリカから全世界に知らしめた女性である。彼女はパリでシャネルの影響を受け、1924年にニューヨークでコスチュームジュエリーのショップを開く。高品質な素材を世界中から厳選し、そのほとんどを職人の手作業によって製作した。なかでも、魚鱗やセルロース、樹脂などを混ぜて作った塗料を、ガラスの核に10回以上塗り重ねた独特な色と形のバロックパールで人気を博した。
その頃、日本では、第一次世界大戦、関東大震災からの復興のために女性が社会に進出したことで、その装いに大きな変化が見られた。同時期(1920年代)に欧米で流行していた「アール・デコ」が日本にも波及し、直線的でスリムなドレスによく映えるイミテーションパールのロングネックレスが大流行した。
第二次大戦後、多くのデザイナーや職人がヨーロッパからアメリカに渡ったことで、流行の中心はニューヨーク、ハリウッドへと移っていく。
1935年~50年の絶頂期には、アメリカ独自の製品が開発され、量産化にも成功。ハリウッド女優にも愛用されたことで、コスチュームジュエリーはアメリカ女性に広く受け入れられるようになった。
1960年代には、当時アメリカ合衆国大統領夫人であったジャクリーヌ・ケネディのファッションが注目を浴びた。彼女は、大統領夫人としては珍しく、ボリューム感や大胆なデザインを楽しむことができるコスチュームジュエリーを愛用していた。大のお気に入りは、二連や三連のイミテーションパールのネックレスであったという。
時代に翻弄されながら受け継がれた確かな品質
「欧米におけるイミテーションパールの流行の立役者は日本の職人たちでもあった」ということはあまり知られていないのではないだろうか。
日本でガラスパールの製造が始まったのは、1910年代にさかのぼる。太刀魚から抽出された魚鱗箔液をガラス玉の外にコーティングすることに成功したことで、1920年頃からアメリカへの輸出が増加した。量産化が進んだ1950年代以降は、主要な外貨獲得のための手段となった。高品質な日本のガラスパールは、その当時、比較的低価格で仕入れられたこともあり、欧米で広く受け入れられていった。
素材至上主義のミリアム・ハスケルも、1940年代後半まではチェコスロバキアやベニスからパールを仕入れていたが、徐々に日本製のものを使うようになっていった。
そのハスケルに1970年頃からパールを提供していたのは、今回、SIRI SRIの新しいコレクションHarmoniaでガラスパールの塗装を手がける日本の職人たちである。
一つ一つ丁寧に作られたパールは海を渡り、高名なデザイナーの手によって、世界中の女性に愛されるゴージャスで魅惑的な製品に生まれ変わった。さらに、日本の職人たちが手がけた製品はアメリカのコスチュームジュエリーの最高峰ともいわれるTRIFARI(トリファリ)やMONET(モネ)、Liz Claiborne(リズ クレイボーン)にも用いられ、品質への信頼感は揺るぎないものとなる。
だが、その後は決して順調とはいえなかった。価格競争の激しい海外製と共存しながら、1993年頃から国内市場の開拓にシフト。欧米取引で培った塗装技術や皇太子ご成婚の需要が追い風となり、活路を見出した。しかし、2010年頃から海外製に押され生産量が減少。後継者不足で廃業する工房が増え、職人の数も減少していった。品質よりも価格を重視する市場ではとうてい勝負できない。そこで、丁寧な手仕事と熟練の技術が求められる、あえて手間のかかる製品に挑戦することで、今日まで技術を受け継いできた。
イミテーションパールの中でもガラスパールは、成形したガラス玉に幾重にもパール塗料をコーティングして作られる。それは、塗料に浸す(ディッピング)方法と、原玉に直接吹きつける方法がある。湿度や気温の違いによって、仕上がりに差がでないよう、塗っては乾かす工程を繰り返す。プラスチックパールと比べると適度な重さがあり、光沢感や色合いなど、仕上がりにも差があるといわれている。
箔(パール塗料)の濃度が高いほど、ディッピング後に引き上げる時、糸を引いてしまうため、ゆっくりとあげていく必要がある。手間はかかるが、見た目の深みが全然違うという。
また、濃度が高いということは、ガラス玉の形状によってはリスクを伴う。串に一粒ずつ刺さったビーズを職人が巧みに木枠を手作業で回転させながら防いでいく。
ガラスパールだからこそ表現できる、対峙し共存する世界観
Harmoniaでは、タヒチパール(タヒチ=フレンチポリネシア海域に棲息する黒蝶貝を母貝としてタヒチで養殖されているもの)の多彩な色合いを、高度な調色技術により、ガラスパールで再現。さらに、ガラスパールだからこそできる形状を大胆につくり上げた。
Harmoniaとはギリシャ語で「調和」。有機的(自然)なものと、無機的(人工的)なものが共存する世界が表現されている。それはまさに我々が今、抱えているテーマ「AIとどう対峙し、共存していくか」にも通じる。
コレクションの最初に作るイメージボード。今回デザイナー岡本が集めていたのは、あたかも生成AIが作ったかのような、均一で、限りなく自然に近いけれども、どこか人工的に見える世界。その世界観が今回のコレクションにつながっている。
有機と無機の調和とは、単に素材と技術ということではなく、製作過程で自然にできた形状を生かすデザインアプローチからももたらされる。
「立体的な形状からどのように影が落ちるのか、自然に見えるのか、人工的か。本当に繊細なところですが、最終的にはその間を求めていきました。」(デザイナー岡本)
岡本の感性が織りなす世界観。それを100年前から脈々と受け継いできた日本の職人たちが微細な技術で応えていくことで誕生したHarmonia。
ココ・シャネルの時代から女性を魅了したガラスパールは、多彩な様相を呈しながら今もなお、存在感を放ち続けている。
文 鈴木 寧々
取材協力 宏和産業(株)
イラスト 中山 庸子
<参考文献>
・『コスチューム・ジュエリー大全 時代を彩ったデザイナーの名作から、素材、制作技術まで』(誠文堂新光社)
・『コスチュームジュエリー 別冊太陽』(平凡社)
・小瀧 千佐子 (2023) 『コスチュームジュエリー 美の変革者たち』(世界文化社)
・田中 元子 (2023) 『日本のコスチュームジュエリー史 1950~2000』(繊研新聞社)
