飴色に輝く革、その究極の実用性
2019.07.12皮革は、暮らしの中でも接する機会が多い素材だ。人類との関わりの歴史は古く、およそ200万年前の旧石器時代にまで遡る。食料用に仕留めた動物の毛皮や皮の部分を寒さや衝撃から身を守るものとして身につけたことが始まりだ。
だからこそ、革職人たちは皆“いただいた命を無駄なく使う”感謝の心を持って、ものづくりを行ってきた。SIRI SIRIのKey ring や MOLA MOLA collection を手がける革職人、池田薫さんは「その革がかつては人と同じく生きていた存在であること。その事実を革職人がどう理解しているかで、できるものにも大きな差が出てくる」と言う。
完成まで3カ月。時間が生み出す、革の風合い
革は、それ以降もヨーロッパ中世時代の鎧やアメリカ開拓時代の鞍やブーツに、日本の戦国時代以降の日本刀や第二次世界対戦時代の将校向けブーツや図嚢(ずのう)にと、時代や環境に合った幅広い製品になり、加工技術とともに受け継がれてきた。
現代のベルトやバッグ、靴などを見れば明らかなように、皮革にはたくさんの種類がある。ほ乳類なら牛や馬、豚、鹿、は虫類ならトカゲや蛇、そして鳥類も。SIRI SIRIで主に使われるのは牛革だ。
月齢や性別で名称や性質が異なるが、例えばKey ringになるのは、ステアという成牛のショルダー部分を用いた伊ワルピエ社の「ブッテーロ」。繊維が詰まっており、コシが強いのが特徴だ。また北米産が多い牛革にあって珍しく、原皮はイタリア産。アメリカの原皮と比べて生育中につく細かい傷が少なく、美しい皮が多いとされる。
動物の皮膚は、表皮と真皮、皮下組織の層からなるが、革になるのは真皮のみ。そのため、原皮を革にするには、繊維を緩ませて毛を落とす「石灰漬け」に始まり、「鞣し」や「背割り」、「伸ばし」、「乾燥」と複数の加工が必要になる。特に「鞣し」は、腐敗や水分の蒸発を抑え、漢字の通り“革を柔らかくする”上で欠かせない重要な工程だ。鞣しに使う鞣し剤も化学薬品のクロムと天然のタンニン(渋)があり、ブッテーロは後者。濃度が異なるタンニンプールに段階的に漬けて渋層をつくり、自然の天日干しで乾燥するため完成までに3カ月はかかる丁寧さだ。
だからこそ、商品にした時にもひとつずつ異なる風合いが生まれ、使い込むと世界でただ一つのKey ringになる。こうした個性や時間による変化の美しさは、Key ringだけでなく他のアクセサリーにも言えること。
「革コードや革紐などの繊細なパーツにも豊かな表情がある。それが天然素材の面白さです。」
じつは、日本ではそうした革本来が持つ傷や染めの濃淡が生み出す個性は認められにくい。「表面の美しさだけに因った品質判断になっているからです。元が生き物である以上、多少の傷や違いはあって当然なのですが。」その言葉に、かつての人類と皮革の関係から随分遠い場所に来てしまったものだ、と思う。
「原皮が取れた季節によってもヌメ革の色味は変わりますから、デザインに若干の影響が出る場合もあります。どうしても、生き物である以上は仕方がない。」
牛革は、水分を加えればどんな形にもなる。天然素材の特質を最大限に発揮させるため、作業直前には必ず表面に水を乗せ、中まで浸透させるケーシングタイムを取る。しなやかさと弾力を復活させることで、より扱いやすくできるのだ。
細工や縫製にはいくつもの道具を用いる。例えば革を切り出す時は、いくつかのサイズの革包丁を使いわける。池田さんの場合は、日本刀と同じ玉鋼の革包丁。またKey ringのように手で切り出しにくいデザインは、専用の抜き型をつくっている。切り出した革は革梳き機で厚みを調整し、手縫いもしくは曲線が作りやすいシンガー社の革用ミシン「17号」などで縫い、成型する。
「Key ringは、ベルト部分からガラスチューブ側に向かって、革の裏を徐々に薄く削ぐ必要があります。しかし金具跡がつくため抑えが使えず、上から手で押し込みつつ0.数ミリ単位で厚みを調整して、ゆっくりと梳いていきます。」
頼りは、50年の経験値と手加減。彼ほどの職人でも扱いが難しく、失敗することがあると苦笑する。
池田さんがライフワークとして取り組む、革表面に彫刻を施すカービング作品の制作であれば、さらに大理石の作業台や彫刻刀の役割をするスーベルカッター、柄や細部を描写する何十本もの刻印、細かな毛や奥行きを革から切り起こす手術用メスなどがさらに加わっていく。
SIRI SIRIのために仕入れるのは、素のヌメ革のみ。Key ring blackのような色つきの革は、池田さんが自ら染めたものだ。当然、染料にもこだわりがある。選んだのは、米フィービング社の「オイルダイ」。揮発時に革の油分を抜いてしまうアルコール染料と異なり、オイル成分にしっとり感を持続させる効果があるという。
Key ring一つとっても、革の選別から抜き型や染料選び、仕上げと随所に革職人の経験と技が息づく。そんな中で、柿渋や藍のような自然染料や蝋纈の技術を加えても面白そうだ、と楽しそうに池田さんは言う。
「革も伝統的な手法をうまく活かせれば、創造的で面白いものが生まれるはずですからね。自然素材を扱う人間には、伝統的な行為を振り返る視点や意識がとても大事なんです。」
あまりにも身近な存在であるがゆえに、感謝の気持ちが薄れ、本当にいいものが見えにくくなってしまった現代。でも、人類の歴史に長く寄り添ってきた革は、究極の実用品として今も変わらずにそこにある。私たちを守り、同じ時間を刻んできた、どれ一つとして同じ物のない自然からの贈り物。そんな革の美しさや温かみを、今一度思い起こさせてくれるのは、職人の言葉と技なのだろう。
文 木村 早苗
写真 伊丹 豪